Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
薄井由行
10月29日の記念日について何か書こうと試みましたが、今回はどうにも食指が動きません。心に響かないのです。話を膨らませられないからといって、これらの記念日が無意味なわけではありません。由来や理屈は確かに備わっています。ただ、それを受け取るべき私の心が、その場に居ないのです。どうして今回に限ってそうなったのか。考えても考えても、理由が見つかりません。原因を探しても、答えのかけらすら得られません。否、そもそも私は思考すること自体を拒んでいるのではないか――そのような疑念に行き着きます。
そんな本日10月29日も他の日と同じように、数多くの記念日があります。
たとえば「オートレース発祥の日」――人々が新しい賭け事に胸を躍らせ、夢が走り始めた日です。それに比べ、私の言葉は未だスタートラインに立ち尽くしたまま。オートレースのバイクにはブレーキがないと聞きました。けれども、指先の下にあるキーボードには、書き出しの糸口となる偶然の出会いすら訪れず、ブレーキがかかったままです。
他には「国産とり肉の日」「凄麺の日」、日本発祥の料理である「ドリアの日」、さらに佃煮業界が制定した「東佃の日」。これらは、いずれも身体の内側を流動するものに関する記念日です。どれも食べたいですが、今日はお腹の調子がよくない事もあり、食欲がありません。
一方で、「和服の日」「てぶくろの日」「おしぼりの日」は、いずれも肌を覆うものの記念日です。しかし先にも書いたように、皮膚の内側の不快感に意識が向いていってしまい、感想が、身体の外側の感覚まで行き届きません。
ちなみに「ふくの日」は服の日ではなく、福の日でした。
そして「インターネット誕生の日」。いまや生活に欠かせない情報を収集する、あるいは情報が収集される網目。このコラム自体も、インターネットの発達によって実現した公開の場です。同時にその事が私に戸惑いを与えるテクノロジーでもあります。
「ホームビデオ記念日」は、1987年にソニーが家庭用カメラ一体型ビデオ「ハンディカム」を発売したことに由来します。現在もハンディカムは進化を続けています。しかし一方で、スマートフォンという電話にはレンズも記録媒体もすべて内蔵され、撮影機能が端末の中心的役割になりつつあります。もはや電話という機能の方が付随しているのではないか、とすら思わせられます。
あと、記念日ではないですが Koala Clancy Foundation(コアラ保全団体)という団体が10月29日にLandowner Field Dayというイベントを開催するそうです。内容はコアラの生息地再生と植林活動の紹介・視察を目的とした催しとの事。
ところで、聞いた話によるとコアラは、栄養価の低いユーカリの葉を消化するために、エネルギーを多く必要とする脳を可能な限り小さくし、そしてシワを無くし、つるりとした形状へと進化させました。コアラの愛くるしい仕草も、そんな理由が隠されているからなのでしょう。
この様に、これだけの題材がありながら、どうにも私の心は共鳴しませんでした。記念日を列挙することはできても、それを「書く」ことが出来なかったのです。題材としては十分に価値があるのに、私の気分はそこに追随しようとしませんでした。ゆえに、今日の記念日については掘り下げることを止めました。こんなつるりとした内容ですが終わりにします。