Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
先日、東急大井町線に乗っていて、間もなく終点の大井町に到着するので扉の近くに移動すると、誰も立ち上がろうとしない。あれ?まだ終点じゃなかったか?と思っていると、駅に停車し、扉が開く前の一瞬のタイミングで全員が同時に一斉に立ち上がった。フラッシュモブのような感じで、ちょっと驚いた。途中の停車駅ならこうはならないのだろうが、終点で降りることが滅多にないせいか非常に違和感を覚えた。すっかり日本の生活が当たり前になったのに、変なイタリアの生活習慣が身についている。イタリアでは公共交通機関で降りる一つ前の駅から次に降りる準備を始める。ギリギリまで座席に座っていて降車間際に立ったら降りられない可能性が高いし、他の客に怒られるからだ。さらに、乗車した後、奥に詰めるということをしない。毎回ちょっとしたカオスだ。外国人観光客が日本の公共交通機関での乗客のマナーの良さをSNSに投稿しているのをたまに目にするが、暗黙の了解で整然と乗降車する様子はまさに日本的情緒に映るのだと思う。
行列についての話は枚挙にいとまがないが、例えばスーパーマーケットで左右に2台のレジがある場合、1列で行列して空いた方のレジに順番に行くのが当たり前だと思うのだが、イタリアでは違う。どちらかを選んで並ばないといけない。理由はわからないが、そういう慣習なのだということだろう。買うものがすごく少ない人は並ばずに先に会計してもいいという曖昧な慣習もある。それを許すのは次に会計の番が来る人なので後ろに並んでいる人たちの意向は無視。お先にどうぞという譲り合いの精神なのだが、そういうのは一対一の時にしてほしい。
そして今、気付いたのだが、イタリアのレジはほぼ皆ベルトコンベア式で、レジの人は座っているが、日本のレジの人ってずっと立っていますね。
日本とイタリアで大きく異なる慣習はいろいろとある。 顕著な例として、イタリアでは一つの皿をシェアして食べることはほぼしない。ピザのような分けやすいものでも、一人1枚。一切れ交換とか、まずやらない。前菜はともかく、パスタやメインをシェアすることはない。では、絶対にシェアしてはいけないのか? マナー違反? そもそも、マナーとは何だろう? その国の慣習に従いながら、自分に合った方法はあると思う。シェアする場合は、最初から取り分けてもらえばいい。他には、食事の際に、お皿を直接テーブルに置くということは絶対にしない。家でもそう。ランチマットなり、テーブルクロスを必ず敷く。セルフサービスのような店でも、紙のランチマットがある。衛生面という部分でそれと似ているのが、公園や砂浜などで直接座ったり寝そべったりすることを絶対にしない。必ず、タオルやビニールシートを、地面と体の間に一枚挟む。プールでも、プールサイドでは必ずサンダルを履かなければいけないが、日本では履物禁止だったりする。日本で靴を脱ぐ機会が比較的多いものの、公共のスリッパを履くことには抵抗感がある。どちらが正解という話ではなく、嫌だったら室内履きを持参すればいい。
マナー大国の日本だが、自転車のマナーの曖昧さはなぜなのだろう?
自転車は車両だという意識がないのか、歩道を走るのは当たり前で、ひどいのは歩道を逆走する自転車の多いこと。
イタリアで歩道を自転車で走ると歩行者に怒鳴られるので、日本の自転車レーンはもう少しきちんと整備してほしい。甲州街道や環七、環八、目黒通りなど側道を自転車で走るのはちょっと怖い。
話が脱線したが、最後に、大井町線の車内で聴いていたミラノの作曲家、ロベルト・カッチャパーリアの ”Sei Note in Logica” (6つの音のロジック)という曲を紹介して終わります。
ラ♭・シ♭・レ♭・ミ♭・ファ・ソの6音の可能な限りの組み合わせを展開しながら繰り返される1979年の傑作。
電子音のパートは、ピエトロ・グロッシが参加。
同年に発売され、Telexがカバーした”My Time”もカッチャパーリアの曲。上記のSei Note〜にはこの曲のボーカルのアン・スティールも参加している。