Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
ごみ問題は、人生の何割かを占める問題で、「自分は違う」と言い張る人は、使用人が全部行うだとか、家族が自分の代わりにやってくれている人だけです。日常的には、「分類する」「ごみ出しの日を把握」または「なるべくごみが出ないように暮らす」という程度なので、毎日使う脳の領域としては1パーセント以下かもしれません。けれども、例えば、亡くなった親の代わりに実家を片付ける作業や、高齢になったり、何らかの理由で死期が近付き自分の物を処分する等を経験すると、「ごみを捨てる」ということが、人生の中でかなりの大きな領域を占めることがわかります。少し大袈裟に始めましたが、単に、日常のごみについていつも感じていることを書きます。
まず、私が、15年ほど前、東京23区内から23区外へ引っ越してみて、驚いたことは、燃えるごみ、燃えないごみ共に有料だったことでした。「そんなの当たり前じゃん!」という人と「嘘でしょ?そんなことやってられない」と思う人が必ず存在します。
かつて、短期間ですが、23区内でも有料の「東京23区推奨ごみ袋」が販売されていた頃がありました。その昔誰もが気軽に使用していた黒ビニール袋を燃やすと、地球環境に負荷を与えるとか、中身の見えない黒い袋で出されるので、分別がされない等の問題があり、軽く透ける白い「東京23区推奨ごみ袋」が登場し、最初は分別徹底を推進すべく、記名式でもありました。
詳しい公式資料が見つからず、ある自治体の公式サイトに残っていたごみ袋廃止の記事をリンクします。
短期間と書きはしましたが、平成6年に始まり、12年に本格化し、21年に廃止となったそうなので、単純計算で15年も続いたことにはなりますが、スーパーのプラ袋の材質が地球環境に悪影響を及ばさないよう徐々に改正され、皆その袋でゴミを出すようになり、指定のごみ袋をわざわざ購入しなくてもよくなりました。なので、23区推奨ごみ袋が廃止になったかどうか誰も意識していなかったと記憶しています。
ごみ問題から少し脱線します。今でこそポイ捨てに対し、意識の高い人は沢山いますが、昭和なんぞ、タバコの吸い殻がどこにでも必ず落ちていて、そこかしこの床に吐き出されたガムが貼りつき、そのガムを、清掃員や誰かが、金属のコテのような物で、ゴシゴシ剥がす風景が日常でした。私が高校生ぐらいの時までは、新宿駅の連絡通路のあちこちに『痰壺』なる金属の壺が置かれていて、今、考えるだけでも嘔気込み上げるものがありました。痰壺まで行って痰を吐く人も気持ち悪いし、痰壺じゃないところに痰を吐く人も何もかも気持ち悪いです。ヘビースモーカーが多かった昭和ならではなんでしょうか?風邪をひいた時など、誰でも痰が出る時がありますよね。痰は、トイレや洗面所、ティッシュやハンカチに吐くものです。痰壺に入れるなんてホント気持ち悪い。痰壺を片付ける清掃員の気の毒さを想像すると、もっと、嘔気込み上げます。きっとこれを読んでる人も嘔気込み上げることでしょう。ホントにイヤですね。
さて、ゴミの話に戻ります。
随分前、テレビで「石川県に、食べ終わったスイカの皮を家の前に干す地域がある」という事を知りました。当時テレビで見た時は、庭や玄関先にスイカの皮を干してある風景に相当インパクトがありましたが、「スイカの皮の水分を減らすことで、ごみ焼却炉の負担が減る」という納得の行く理由で、真似したいぐらいです。人口密集地でない&一軒家が多い地域でないと多分成り立たない習慣ですね。
自治体によって細かい分類も違うことながら、今では、だいたいどの地域でも、リサイクルごみの分別が行われていることでしょう。瓶や缶、ペットボトル、古紙、など、リサイクルが盛んですが、「プラ」マークのついたプラスチックごみはどうでしょうか?(正しくリサイクルされているかどうか?の疑問には今回は触れないでおきます)
私の住んでいる市では、プラごみは、軽く汚れを洗い落とし、乾かしてからリサイクルとして出すように決められていますが、実家のある世田谷区では、プラごみは、燃えるごみとして洗わず出すことになっています。焼却炉の性能の違いが理由と聞きますが、そこだけは、羨ましいです。なぜなら、映画やドラマで見るステキなキッチンでは、プラごみなんか干していないし、プラごみを干す場所なんかないんです。プラごみを分類してから出さねばならない地域では、キッチンの風景イコール干されたプラごみです。知り合いの家など、プラごみを洗ってから干すための棚をわざわざ流し台の上に設置していますし、どこの家も何らかの『プラごみ干し道具』があるのが当たり前の風景で、洗い終えたイチゴのパックや、納豆のパックなんかが干されています。これは、前述の「スイカ干し」のように正しい風景なのでしょうが、どうにも「好みじゃない」という気持ちが沸々と湧いたまま、暮らしています。もしも、正しく暮らしつつ、見た目も良くしたかったら、洗ったプラごみの水分をすぐに布巾で完全に拭き取り、さっさとゴミ箱に収納するのがいいでしょう。使った布巾は硬く絞ったり、マメに洗って消毒したりしないといけないので、令和の時代なのに、家事の時間が増えます。ならば時短のためと、水洗いしたプラごみをティッシュで拭いたなら、ティッシュの消費量が何倍にも増え、気分的に全く良くない。では、そのティッシュを「濡れただけだから」と乾かして再利用する場合、いつもティッシュが干してあるキッチン、となり、プラごみが干してあるよりも更にひどい風景となります。正しく暮らした場合の、映画やテレビで見るステキなキッチンはどこに?
「映画やドラマで見るステキなキッチン」と書いたので、もう一つ。少し前に、ブラッド・ピットが出演するコーヒーマシンのCMがあり、見るたびテレビの前で、「どうせブラピは溜まったコーヒー滓を自分では捨てないだろうさ。使用人か誰かが捨てるのさ。」とやさぐれていました。
ちっ、美味そうなカプチーノですね。