Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
釣りタイトルをつけてみましたが、人畜無害の内容でございます。
以前に不眠の話しを書き、結論として「気にしないのが一番」ということになったのですが、やはり寝付けないでいる時間というのは、モンモンとしてあまり楽しくない。この時間を少しでも有意義に過ごせないものか?
寝る前にYouTubeで時事問題番組など聴いたりしていたけれど、昨今のあまりに悲惨な状況下では怒りと不安が募るばかりでよろしくない。言語学習は文字を見て学べないので、学習効果はあまり期待できない。なにか美しく、下品でないものに触れたいけれど、音楽を聴くと頭がコーフンしてしまうから駄目。それで、ふと「おはなしを聴こう」と、文学の朗読番組を探してみることにしました。著作権の切れたいわゆる純文学を朗読してくれる”寝落ちしていいですよ”的な動画がたくさんありました。
中でも気に入ったのは、「窪田等の世界」。
心地よく聴いているうちに最後のほうで寝落ち。翌日、家人に「昨夜聴いたお話は面白かった。善行を積んで、亡くなったあとHeavenに行って平和に過ごす夫婦が、結局完璧な平穏に飽きて地獄に旅立つ話だった」とあらすじを粗っぽく説明しているうちに、「あれ?」と思いはじめました。
なんかおかしい。その結末だとスプラッターぽくて文豪ぽくない! ちょっと下品?
「まさか」と思いつつもう一度動画の最後を確認したら、なんと、やはり最後は地獄に行ったりなんかしていなかったのでした。ネタバレになるから書きませんが、さすがは文豪。そこは上品に余韻が残る結末になっていました。つまり、私は寝落ちしつつ、自分好みの結末に改ざんしていたのでした。驚きつつ、ほっとしました。ああ、気づいてよかった。
いろんな作品を聴いているうちに、音声で聴くのに心地よい作家と、文を目でみることをともなってこそイメージがひろがる作家に分かれると思いました。宮沢賢治などは後者で、やはり目で文を追いたいという気持ちになります。
そして、前者の代表は芥川龍之介でした。細かい描写が耳からの音だけで充分伝わってきて、情景が眼の前に広がり、更に時々美しい音の単語がちりばめられているから、心地よく浸れるーこれが文章力というものでしょうか?
ところが、偶然にも、芥川作品の朗読に音楽をつける仕事をする機会がありまして、未公開なので詳細は伏せますが、その制作過程で、この芥川の文体の特徴に苦しむこととなりました。なんというか、他の人なら書かない、ちょっとした細かい描写が途中に入リこむため、文章がやたら長い。必要なことを言ったあと、それだけでは終わらないのだけれど、その部分が美しいので無視できない。音楽は文の全体を聞かせるために待たなければならない。テンポよくたたみこんで行けない。こんなふうにやりにくいのは初めてという印象でした。普通の作家の文章ではなく、特殊。早逝とはいえ、やはり「文豪」による「純文学」の文章なのだと嘆息しました。
窪田さんのチャンネルに芥川短編が、たくさんあります。文体はいつも同じかんじではないのですが、やはり他の作家のものより聞いただけで満足感が得られる作品が多い。そして高級感がある。
今のところ、文の心地よさとしては芥川が一番なのですが、内容の心地よさとしては「方丈記」でした。原文だと文字を見ないと分かりづらいので口語訳で聴いていましたが、私自身、現在京都に住んでいて語られる地名にイメージが湧きやすいこともあり、「色々と災難は起こるけれど、まあ、いつだってそういうものだから」と諭されて「ああ、そのとおりだな」と安堵します。この有名な序文は、いま、混乱の世において、とてもこころに染みるものがあります。今で言えばLoserのような生き方をした人かもしれません。でも、どんなにお金を積んでも買えない大粒の宝石を後世に残していかれた。
あまりに有名になりすぎたけれども、読み返すと改めてしみじみする、その美しい冒頭を、今春の花筏写真とともに最後に添付します。
ひたすら「美しいもの」だけに触れていたいと願う昨今です。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。(方丈記)
2025年4月 誰もいない雨の日の哲学の道と流れに逆らう鴨カップル