Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
ゲイリー芦屋
自分の音楽の立脚点について考えるとき、真っ先に思い浮かぶのはいつもWhite Noiseの1stアルバム『An Electric Storm』である。あらゆる面で自分の好みの音やアイデアが凝縮された作品で、正直に言えば、ビーチ・ボーイズの『Smiley Smile』を初めて聴いたとき以上の衝撃を受けた一枚だ。
White Noiseは、イギリスBBCラディオフォニック・ワークショップに所属していた技術者兼作曲家、デリア・ダービシャーとブライアン・ホジソンが関わっていたグループである。彼らの名前は現在、BBC電子音楽の文脈で語られることが多いが、White Noiseというグループそのものについては、意外なほど言及されないまま扱われている印象がある。
たとえば、最近購入した『サウンド&レコーディング・マガジン』増刊号『エレクトロニカ・アーカイブス1997–2010』の巻末には、「BBC電子音楽工房の歴史」と題したコラムが掲載されており、その中でデリア・ダービシャーについても触れられている。しかしWhite Noiseに関する記述は抜け落ちていた。この点は、個人的に強く引っかかる部分だった。
また、1970年代後半のテクノポップ誕生前夜を背景に、女性エレクトロニカ作曲家たちを描いた映画『ショック・ドゥ・フューチャー』のエンディングでは電子音楽を切り開いた女性作曲家・技術者たちへのデディケーションが捧げられている。その中にもデリア・ダービシャーの名前は確かに含まれていた。
さらにDTMer的な視点から見ても興味深い事例がある。Spitfire Audio社が開発したプラグイン「BBC Radiophonic Workshop」のパッケージ写真に使用されているのは、他ならぬデリア・ダービシャー本人である。
ネット上を検索すれば、スロッビング・グリッスルのクリス・カーターとコージー・ファニ・トゥッティがフェイバリットとしてWhite Noiseを挙げ、その影響について語る映像にも行き当たる。
そしてもう一つ個人的なことを付け加えるなら映画音楽作家としての自分にとっても、デリア・ダービシャーとブライアン・ホジソンの作り出す音響は長年にわたって理想の一つであり続けてきた。White Noiseを中心にこれらの点と点がひとつの円環を描くようにつながっていく感覚があり、この機会にあらためてWhite Noise、そしてBBCラジオフォニック・ワークショップについて深く掘り下げてみようと思い立ったのである。
<1> いかにして私はWhite Noiseと出会ったか
White Noiseとの出会いは1990年頃だったと思う。当時の私は大学生で自宅録音を始めてまだ1~2年ほどの、いわば駆け出しの自宅録音派だった(まだDTMerという呼称はない)。本郷のTOAビルで毎月一度開催されていた「京浜兄弟社デモテープバトル」に自作のデモテープを抱えて通っていた。このデモテープバトルは毎回数人の自宅録音派のアマチュアが集まって互いのデモテープを寸評しあうというイベントだったのだが、会の冒頭に主催の岸野雄一氏が「最近こんなレコードを手に入れたんだけど…」と珍しいロックやポップスの音源を聴かせてくれて、それが他人のデモテープを聴くよりもむしろ刺激的で勉強になることが多かった。ある日のデモテープバトルで岸野さんがかけたのが、White Noiseの『An Electric Storm』収録の「Here Comes the Fleas」だった。
Smile期のビーチ・ボーイズを思わせる瞬間があるかと思えば、ボンゾ・ドッグ・バンドのようでもあり、初期電子音とテープコラージュが渦を巻く中で、メロディ自体は驚くほどポップだ。「ビーチ・ボーイズよりすごい!。これは一体何なんだ。どうやって作っているんだ」――その場で完全に心を奪われた。
当時の私は、ニューウェーヴの熱が一段落し、XTC~デュークス、トッド・ラングレンに傾倒した見本的な“箱庭ポップスを夢想する自宅録音派”だった。カセット4トラックMTRという限られた環境の中で、いかに面白く、いかにポップな音を作るかに没頭していた私にとってWhite Noiseの音楽は「箱庭ポップスの究極形」と映った。淫靡さやホラー的な感触、地獄の底を思わせるドローン、Zerosetを連想させる執拗なドラムの連打――そんな要素の全てが漫画チックにわかりやすいポップなメロディーのベールに包まれている…。
衝撃は大きく、すぐに岸野さんに頼み込んでカセットにダビングさせてもらい、繰り返し聴き込んだ。もちろん、誰がどうやってあの音を作っているのかはまったく分からない。それでも無理やり効果音を入れてみたり、「The Visitation」を思わせるホラー短編のような曲や、ノイズ、プログレ、ノストラダムスの大予言のサントラ、さらにはビーチ・ボーイズの『Surf’s Up』をごった煮にしたような楽曲を作ってみたりした。とにかく楽しかった。こんな音楽を作りたいと夢想することそのものが純粋な喜びだった。White Noiseの音響は当時の私にとって疑いようのない理想郷だったのである。
<2> White Noise概要
White Noiseは、デヴィッド・ヴォーハウス、
デリア・ダービシャー、ブライアン・ホジソンの三人によって結成された。
中心となって作曲を担っていたのはヴォーハウスで、彼は当時、モーリー大学で物理学とエレクトロニクスを学びながら、オーケストラでコントラバスを演奏していた学生だった。結成当時、彼は22歳で、デリア(30歳)、ブライアン(29歳)よりもかなり年下だった。
一方のデリア・ダービシャーとブライアン・ホジソンは、BBCラディオフォニック・ワークショップに所属する音響技術者兼作曲家で、BBC番組のための音響効果や電子音楽を制作していた人物である。
シンセサイザーがまだ実用化されていなかった1960年代初頭、オシレーターを組み合わせ、テープを切り貼りすることで擬似的にシンセサイザー的な音響を生み出していたのが彼らだった。White Noiseに特徴的なテープコラージュや電子音響はこの二人の存在なくしては成立しえなかった。
デリアとブライアンという生粋のプロフェッショナルチームにヴォーハウスが弟子入りしたような形でホワイトノイズは始まった。
<3> White Noise前史――Unit Delta Plus
デリアとブライアンの経歴をさらに遡ると、1960年代中盤のロンドンにおけるアンダーグラウンド文化の中心に行き着く。ヴォーハウスと出会う以前、彼らはミュージック・コンクレートやサイケデリック・アートに強く傾倒していたが、保守的でお役所的な体質のBBCという職場環境の中では自分たちの志向を自由に発揮しづらく、窮屈さを感じていたようだ。
そこで彼らはBBCの外でピーター・ジノヴィエフ(後にEMSを創設し、VCS3を開発した電子音楽家・作曲家)を加えた電子音楽ユニット「Unit Delta Plus」を結成する。当時のロンドンにおいて電子音響やテープコラージュといえばUnit Delta Plusは他の追随を許さない存在感を放っていた。
ポール・マッカートニーが「Yesterday」を電子音で再構築する構想を抱き、デリアのラボを訪れたという逸話も残っている。この試みは実現しなかったが、もし完成していたならビートルズ史は少なからず異なるものになっていたかもしれない。
また、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズも1966年当時、電子音楽の可能性に強い関心を寄せ、デリアと密接な交流を持っていた。その影響は『サタニック・マジェスティーズ』における逆回転、メロトロン、テープ操作を用いた音響表現として結実している。
Unit Delta Plusとしての活動自体は限定的だったが象徴的な実績として語られるのが、伝説的な電子音楽イベント「Million Volt Light and Sound」での演奏である。このイベントのためにポール・マッカートニーが制作した音源が、長らく幻とされてきた「Carnival of Light」だ。現在では非公式ながら全貌を聴くことができるが、Unit Delta Plusのメンバーがこの曲をやや冷ややかに評価していたという話も実際に聴いてみると理解できる。
さらにジノヴィエフ夫妻が支援していたギャラリーでは、オノ・ヨーコの個展「未完成の絵画とオブジェ」が開催され、ここでジョン・レノンとヨーコは出会うことになるなる訳だが、時を同じくしてジノヴィエフを介してデリアとヨーコも知り合っている。ジノヴィエフの家では定期的に電子音楽の発表会や怪しげなパーティーが開かれており、デリアはそこで自作の電子音響作品を演奏していた。そこに招かれていたヨーコはデリアの作品に強く惹かれ、やがてデリアのアパートで同居するようになる。デリアは、ヨーコのハプニングを記録した短編映画『Wrapping Piece』の電子音響によるサウンドトラックも手がけている。Unit Delta Plusの活動領域がドラッグカルチャーからフルクサスに至る前衛芸術運動まで横断していたことがよく分かる。
<4> Unit Delta PlusからWhite Noiseへ
ではなぜ一学生に過ぎなかったデヴィッド・ヴォーハウスがUnit Delta Plusの面々と出会うことになったのか。きっかけは彼が所属していたオーケストラの指揮者に「隣のホールで電子音楽の講義がある」と教えられたことだった。その講義を行っていたのがUnit Delta Plusだったのである。ヴォーハウスはすでに「Million Volt Light and Sound」を観客として体験しており、彼らの音響に強い憧れを抱いて講義に参加した。終了後に熱意をもって話しかけたことで意気投合し交流が始まったという。
当時、Unit Delta Plus側はジノヴィエフのスタジオ機材に不満を抱き、新しい機材を自作したいと考えていたがそのための技術を十分には持っていなかった。そこに、エレクトロニクスの学位を持ち「何でも作れる」と豪語するヴォーハウスが現れた訳だ。彼らはヴォーハウスに電子音響とテープコラージュの技術を教える代わりに、自分たちが望む機材を作ってもらうという、持ちつ持たれつの関係を築きながら一緒に音楽を制作するようになっていった。
やがてヴォーハウスとデリアは深夜のBBCスタジオに忍び込み、White Noiseとしての音源制作を開始する。最初に完成した「Love Without Sound」と「Firebird」のデモをレコード会社に送り続けた結果、アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルの耳に留まり、前金を得て本格的なスタジオを構えることになる。こうして三人はアルバム制作へと突入し、『An Electric Storm』を完成させた。アマチュアでヒットソングへの野心を抱いていたヴォーハウスと、すでにプロフェッショナルとして確立された技術と人脈を持つデリアとブライアン。その共同体こそがWhite Noiseだった。
<5> まとめ――私にとってWhite Noiseとは
シンセサイザー登場前夜、膨大な手作業と試行錯誤の積み重ねによって生み出された特異な音響ーそれがWhite Noiseの正体である。その背後にはBBCラディオフォニック・ワークショップで培われた技術と、サイケデリック・ムーブメント最前線の感性があった。White Noiseは単なる奇作ではなく当時考えうる最先端の音響実験をポップ・アルバムという形式に結晶させた存在だった。参考として、デリア・ダービシャー自身が音響制作を行う映像を紹介しておこう。
手動でテープループを同期させ、音の重なりからリズムを構築していく様は感動的ですらある。この地味で気が遠くなるような身体的作業の連続こそがWhite Noiseの音響世界を支えていた。
一方で今日の音楽制作の現場ではアイデアの断片でさえAIが即座に形にしてくれる時代になった。便利であることは疑いようがないがその代償として音と向き合う時間や失敗を含めた手作業のプロセスが簡単に省略できてしまう環境でもある。そうした現在の制作環境を否定するつもりはない。しかしながらWhite Noise/An Electric Stormは「何を自分の頭で考え、何を積み重ねるべきか」を静かに問い返してくる。
なんでも手軽にできてしまう時代だからこそ、遠回りに見える作業や、曖昧なイメージを抱えたまま音と格闘する時間の価値はむしろ相対的に高まっているのではないか。White Noiseは過去の実験音楽としてではなくいまこの時代においても、制作の姿勢そのものを考え直すための参照点として私の心に火を灯し続けている。