Toyroメンバーのリレー・コラムです。ぜひ、お楽しみください!(代表・横川理彦)
藤本功一
先日、近所に住んでいる翻訳家の友人と「普段どのような方法で考えて、その結果を脳内にどう保存しているのか?保存する時に用いるファイル形式はなにか?」という話になった。
わたしの場合、言葉を使って物事を考えるので保存する形式は当然テキストになるわけなのだけれど、友人は「うーん、イメージファイルかなあ。JPGとか?」と言う。「うそでしょ、どういうふうに考えたらそうなるの?それにあなた翻訳家でしょ、翻訳をする時はどうしてるの?」「えっとね、翻訳前の文章を頭に放り込んで、そこからイデアを抽出し、フィーリングで出力してる」。マジか、天才ですか。テキスト思考タイプのわたしからするとまるで理解ができない。
わたしは今まで思考は言葉そのものだと考えてきた。思考は言葉であり、言葉は思考。なので、「母語によって思考の在り方って変わるのでは?」と思っているし、「扱えるボキャブラリーの量によって思考の幅や深さは違うのでは?」とも思っている。故に、テッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』には深く頷いたりもしたわけだけれど、しかし、そんなわたしの常識をすべて飛び越えて生きているヤツが目の前にいる。笑いながらコーヒーを飲んでいる。
どういうことなんだ。言葉以外で考える人間なんてものが存在するのか。そんな疑問を胸にぼんやりとインターネットをしていたある日、YouTubeのアルゴリズムがわたしに『絵で物事を考える「視覚思考者」にはどんな世界が見えるのか?』というタイトルの動画をサジェストしてきた。
この動画、主に『ビジュアル・シンカーの脳~「絵」で考える人々の世界』という書籍を引用しながら会話が進められていくので、それも含めて内容をざっくりと要約すると…人の思考方法は、言語で思考をする「言語思考型」と、視覚(物体や映像)やパターン(構造や抽象パターン)で思考をする「ビジュアル思考型」の2種類に大別される。ただ、教育メソッドや社会システムが言語思考型の人間に合わせて作られているため、どうしても言語思考型の人間にスポットが当てられる機会が多くなり、結果、ビジュアル思考型の人間に対する一般的な認知度が低くなってしまって正当な評価が得られづらくなっている、というもの(詳しくはリンク先をご参照下さい)。
なるほど、ビジュアル思考型というものが存在するのか。それは知らなかった。もしかすると、翻訳家の友人はビジュアル思考型なのかもしれない。翻ってわたしは言語思考型なのだろう。そう考えると辻褄が合う。謎はすべて解けた。じっちゃんの名にかける前に。
さて、謎が解けた今思う。
社会の需要にマッチする資質を"才能"とするならば、確かに言語思考型の方が重宝されるだろうし認知もされやすい。ただそれは、わたしたちの社会がたまたま言葉によって成り立っているからにすぎない。また、言語思考型社会のメインツールである言葉は、事実や本心ではない表現(嘘や方便)も駆使できるため、情報や意思の共有をはかるためのコミュニケーションツールとしては不完全だ。その不完全さゆえ、言葉は人間同士の関わり合いを面白いものにしているとも言えるのだけれど、しかし、社会システムの基盤として言葉を用いることが未来永劫ベストな選択なのかといえば、どうなのかなあ。
将来的に脳と脳をケーブルで繋いだり、思考の過程をファイルでアップできたりするような未来がもしやってきたら、人間社会は言語思考型社会からビジュアル思考型社会へと変わっていくのかもしれない。まあ、それまでは言葉でなんとかやっていきましょう。愛し愛され、騙し騙されながら…ふふふ…